8月の末に仕事中、兄から電話があり、「まさか」とドキドキしながら電話に出ると、
父が亡くなったという知らせでした。
父はすでに90歳を越えていましたが、元気で食事もきっちりとっていたし、いつまでも元気でいるように思い込んでいました。
「いつか近い未来には亡くなってしまうから、父にしてあげられることを今のうちに」と、心の準備ができていたつもりだったけれど、実際は心の準備はできていなかったようで、
驚いて、涙が止まらず。
涙でぐちゃぐちゃ、仕事が手につかなくなり、忙しい月末の時期でしたが、そのまま帰宅させてもらって、帰国便を予約し、翌日日本へ戻りました。
運よく飛行機の座席に空きがあり、台風の影響が心配でしたが、無事、帰国できました。
コロナ以後、火葬場はいつもいっぱいだそうで、数週間待ちの状態とのことでしたが、
隣の市にある火葬場が数日後に利用できるとのことで、
そのおかげで実家へ戻った時には、まだ寝床に横たわる父に会うことができました。
台風の影響で、新幹線が止まっていたのですが、
父の孫たちも来てくれて、お花いっぱいに包まれ、父は母のところへ旅立っていきました。
ものすごく怖い父で、3番目の末っ子の私は常に怒られて育ち、こんな年になっても、いまだ性格には父の影響が色濃くあり、それにあらがうように自由を求めている自分自身との葛藤を常に繰り返しているように感じることが多々あります。
なので、父の死が悲しい反面、心が解放されたような、変な感覚があります。
今までも、私は好き勝手してきているようにまわりからは見えていたとは思うのですが、心の中には、常に両親の考えに忠実でいなければいけないという思いにとらわれているところがあり、そこから抜け出したい、でも怖くて出られないという感覚があります。
職人気質の昭和一桁生まれの父のもとに生まれた人にはきっと、厳しい親への尊敬と反抗心の複雑な心境がある人がけっこういるんじゃないかなとか思ったりします。
さてさて、
ハワイへ戻り、仕事へ戻ると、迷惑をかけたのに、同僚さんたちからあたたかいメッセージを書いたカードと、お香典をいただきました。(49日のお花を買わせていただこうと思います)
8月の下旬には、日本からハワイへ来ていたお友達、ベガスから来ていたお友達と会う約束をしていましたが、私が帰国したため、会えず、楽しみにしていたので、とても残念でした。残念ですが、帰国できて葬儀に間に合って本当に良かったです。
甥や姪たちも、いろいろイベントの予定があったそうですが、返上しての葬儀参列だったので、かわいそうに思いました。来てくれて本当に、ありがとうね、という気持ちでいっぱいになったし、父も申し訳なく思いながらもきっととても喜んでいると思います。
イベントも、自分の命も、先のことは本当に予測不可能。今日を一生懸命、大切にして、楽しんで人生を生きなきゃですね。
しかし、言うのは簡単、やるのは難しい。
自分が亡くなったら、ということも、息子のために考えておかなきゃな、なんて思い始めました。
今回はちょっとどよんとした内容になってしまって、すみませんー